こちらの記事は以前、InstagramにUPしたものです。
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人って不安や恐怖で物事を見てる。
「え?それ、どういうこと?」と思う人もいるかもしれない。
確かに人は自分のメガネで物事や世界を見ているのだけど、
私が言いたいのは
「そのメガネを恐怖や不安で見ている人が圧倒的に多いよ!」
ということ。
例えば、いつもイライラしていたり怒鳴っている人。
自分の中で満たされない部分が怒りとなって他者に八つ当たりしたり怒鳴るという行為を行う。
本人では怒りやイライラの原因を探ろうともしないので常にイライラからは解放されない。
今の世の中でいえば同調圧力も不安な部分があるから「みんなと同じなら安心」と安心を得ようとして同じであることを選ぶ。
「同じであること」これに対しては責めようがなく、人間の本能とも言える行動です。
集団であることが生き抜くためには必要だったのです。
昔は輪を乱す者は排除されます。
排除されるということは死と直結していたのです。
村を出れば1人で生きていかなくてはいけない。
村の中でみんなと協力していれば長生きできたかもしれない。
村を出れば明日のことさえ分からない。
だからこそ、「同じである」ことは「生きること」と繋がっていたため、人間は輪を作ろうとする。
仕事や人間関係では普段の自分とは違うくても嘘の自分を作り上げて話をしたり、本当はできないことをできると言ったり、何かしらの言動で自分を守るための嘘をついたことがある人もいるでしょう。
自信を損なう恐れや自分の存在を否定される。
または嫌われることの恐れや不安から自分を守るために嘘をつく。
本当にその嘘は自分を守れていますか?
嘘はいつか自分で向き合う時が来ます。
嘘で塗り固めた自分はいつかどこまでが本当で嘘なのかわからなくなります。
小さな子どもが不安や恐れを感じた時、安心を得るためにお母さんの元に駆け寄りますよね。
子どもの頃に十分な愛情、あるいは安心感を体験出来ていないと不安や恐れの対処法が分からないまま大人になっている人も多い。
つまり、言動の裏側には自分を不安や恐怖から守るためのものが多いのです。
何に不安を感じ、恐れているのか。
小さな子どもではないのですから自分自身で解決しなくてはいけません。