アルベルト・アインシュタインのホロスコープ

占星術師のTomomi@tomomi_333489)です。

今回の記事は「アインシュタインのホロスコープ」について書いていきます。

Albert Einstein(アルベルト・アインシュタイン)の生涯:1879/03/14

アルベルト・アインシュタインは言わずと知れた20世紀最大の物理学者と称され、「一般相対性理論」及び「特殊相対性理論」の提唱者です。

2019年に世界各地に設置された「電波望遠鏡」(イベント・ホライズン・テレスコープ)を駆使して人類史上初のブラックホール撮影に成功したことは記憶に新しい。

これはアインシュタインが提唱した「一般相対性理論」が正しかったと証明できた出来事となったのです。

さて、今回はアインシュタインの生涯を見てみましょう。

父・ヘルマン・アインシュタイン、母・パウリーネ・コッホの間に1879年3月14日長男としてドイツ南西部のバーデン=ヴュルテンベルク州ウルム市にて誕生します。

アインシュタインホロスコープは以下のサイト様で見ることができます。

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太陽魚座・月射手座

アインシュタインのホロスコープを見ると太陽は魚座、月は射手座で、この組み合わせは過去に何種類かに記事を分けて書いたニコラウス・コペルニクスが当てはまります。

現代人なら、中山美穂、森田剛(V6)、出生時刻不明ですが、上白石萌歌(女優・歌手)、生見愛瑠(モデル)、藤田二コル(モデル)、芥見下々(漫画家)などが同じ太陽と月の組み合わせを持っています。

WikiImagesによるPixabayからの画像

20世紀最大の物理学者と言われるアインシュタインですから、射手座や水瓶座(天王星)が強く、土星との何らかの関わりがあるのではないかと予測できますが、太陽が魚座で月が射手座というのは少し意外でした。

月は感情や幼少期を表していますが、幼少期の様子を調べてみると「父からもらった方位磁針から自然界の仕組みに興味を示した」とあり、未知の世界へのわくわく感はアインシュタインが人生を歩む上でとても大切な感覚となることが分かります。

一方で太陽は人生の目的やなりたい姿を表しますが、魚座ですから12星座全てを内包した世界であり、すべてのものが溶け合い混ざり合う中で自分にとって大切なものを見つけて取り組み続け、努力することでインスピレーションが武器や強みになるのですが、アインシュタインもまた、射手座の自然界への興味を突き詰め、目指す場所に向かって取り組み続けたからこそ豊かなインスピレーションの扉を開くことができたのでしょう。

自分のために取り組んでいたことも大きな目に見えない意識や魂の意図を受け取り、自らの創造性を表現し続けた人生と言えます。

アインシュタインが目指した先は太陽・MC魚座の全てのものに対する深い愛と宇宙のように広がる無限の可能性や創造力を表現していくことだったと読むことができます。

ここではWikipediaに書かれていることなどを参考にホロスコープから分かることと合わせて書いていきます。

Wikipedia/アインシュタイン

水星土星合 知的発達の遅れと努力

アインシュタインは5歳頃まで言葉を話し、他者と会話をすることが少なかったようですが、これはホロスコープを見ると「水星・土星合」から読み取れます。

水星は自分の考えを話す星、土星は時間がかかる星ですから幼少期に言葉を発するのは遅かったのは本当のことでしょう。

月金星120度 芸術性と心の安定

5歳頃、ピアニストであった母親からヴァイオリンを習い始め、モーツァルトの曲に惹かれて以来、ヴァイオリンは生涯の友となり、公の前で演奏したり、考えがまとまらない時の気分転換として弾いていたのだとか。

月と金星は120度を取り、自然と音楽や芸術(金星)に惹かれ、自ら演奏することが心(月)の安定にも繋がったことでしょう。

人生への姿勢 アセンダント蟹座/月

アインシュタインのアセンダントは蟹座を示し、共感・親しみやすさ・感情・育てるという姿勢でこの世界を生きようとしています。

蟹座の支配星は月ですから、共感できるものと親しむことは心の安定につながったことでしょう。

細かいアスペクトを拾うと、この月に対して火星45度、木星72度、海王星144度を取っています。

45度はハーモニクス8、72度・144度はハーモニクス5で発芽天体となりますから、火星の行動力・木星の広い視野と向上心・海王星の枠に収まらないインスピレーションと芸術性は人生の目的にを達成するためには大切な動機となるものです。

魂の経験値

2ハウスにある獅子座ドラゴンテイルは過去に自分の能力や資源を伸ばせるような取り組みや自己表現できるものに取り組んできたことがわかるのですが、神秘的で壮大な世界を表現しようと音楽や芸術を通して表現してきたのではないかと私は感じました。

感じ取るものを表現し尽くした先に理論の提唱があったのではないかと考えるとヴァイオリンに親しむ時間は頭の中で思考を繰り替えすことを忘れられる良いリフレッシュの時間になったことでしょう。

17歳の頃には州立学校の先生たちも驚くほどの腕前だったようです。

テーブルとイス、フルーツとヴァイオリン。

このほかに人が幸せであるために必要なものがあるだろうか。

という言葉を残しています。

また、アインシュタインとヴァイオリンで調べてみると動画がいくつか出てきます。

本当にアインシュタインが弾いたものかどうかはさておき、とても趣味や片手間に弾いていたとは思えない演奏でした。

自由な発想力と枠を超えた理論への到達は人生をかけた取り組み

3ハウスにある乙女座の天王星は、メジャーアスペクトだと水瓶座木星180度、牡牛座海王星120度、牡牛座冥王星90度を取るのみですが、細かいアスペクトを拾っていくと「20世紀最大の物理学者」と言われているものが浮き彫りになります。

牡羊座水星・土星と150度、金星と135度、火星と144度、ドラゴンヘッドと150度、キロンと120度を取り、どの惑星よりも多いアスペクトの数となります。

特に、水星・土星の150度とドラゴンヘッドの150度の頂点は天王星となり、別名神の指と呼ばれるヨッドが完成します。

これはアインシュタインが生涯をかけて「天王星」という、革新的で斬新な理論を追求するに至った動力と読めます。

3ハウスという場所は「初等教育・近隣・移動・コミュニケーションを介した自己表現」を表し、水星管轄のハウスなので水星の位置を見ると土星と10ハウスで重なっていましたね。

水星と土星によって話し出すのは遅かったかもしれませんが、未知なる世界へのわくわく感や共感できる世界を見つけるとどんどん追求していきたくなり、並々ならぬ集中力と努力で学問を身に付けていく力を持っていることがわかります。

水星の年齢域である9歳のときにはピタゴラスの定理を自力で証明したり、12歳のときに叔父からユークリッド幾何学の本をもらい独学したり、微分学と積分学もこの当時に独学で習得したといわれ、この頃、医学生だったマックス・タルメイから天文学の存在を聞き、物理学に関心を示すようになったようです。

また、3ハウスの教育という面で見ると天王星がありますから、自由に興味のあることを追求したいとか枠にはまらない発想力やひらめきがあることが示されます。

以前記事にしたコペルニクスも3ハウス天王星を持っていましたね。

実際にアインシュタインはミュンヘンのルイトポルト・ギムナジウム(英語版)(現在では「アルバート・アインシュタイン・ギムナジウム」と呼ばれている学校)に入学し、以後7年間、(ドイツを離れイタリアに行くまで)教育を受けるのですが(結構頑張りましたよね(^^;))、同校の軍国主義的で重苦しい校風にはなじめなかったようで、転機というのか、家族がイタリアに引っ越すことになり、医師に診断書を書いてもらい退校。

家族を追ってイタリア・ミラノに行きます。

その後、受験資格の年齢から2歳足りず受験したスイスの名門・チューリッヒ連邦工科大学では総合点が合格基準に足らず不合格となります。

しかし校長は、数学と物理の点数が最高ランクだったため、アーラウのギムナジウムに通うこと(大学入学に必要な中等教育の諸知識を習得する)を条件に、翌年度の入学資格を与えています。

この時、アインシュタインは16歳ですから、金星期に入っていますがこの時、自伝ノートには「光のパラドックス」について書かれているそうですが、これはアインシュタインの人生をかけて取り組むことになるものがこの時点で現れていたとも言えます。

17歳になり大学に入学するも、ドイツ帝国の兵役義務から逃れるために父の許可のもとアインシュタインはドイツ市民権を放棄しています。

その後にスイス国籍を取得する約5年ほどは無国籍となります。

1896年9月のマトゥーラ試験(欧米で広く見られる中等教育修了試験)をアインシュタインはおおむね好成績で、特に数学と物理は 6段階評価の最高ランク「6」で、無事通過します。

10月、チューリッヒ連邦工科大学への入学を許可されるとそこでミレヴァ・マリッチという女学生と出会います。

チューリッヒ連邦工科大学は当時としては女性に門戸を開いていた数少ない大学のひとつであったが、ミレヴァはアインシュタインが属した課程の6名の中で唯一の女性であり、最初は友達だった2人は、数年の年月とともに恋愛関係に発展し、物理の文献を一緒に読む仲であったとか。

しかし、アインシュタインは大学の講義にはあまり出席せず、自分の興味ある分野だけに熱中し、物理の実験は最低の「1」(これは実験で爆発事故を起こしたから?)、電気技術では優秀な「6」、天文学「5」の成績だったようです。

他者との出会いや社会に出て働きかける人生

アインシュタインの4ハウスは乙女座ですから、気になったこと(乙女座)はとことん(水星土星合)取り組みたい性分が現れていますが、この4ハウスは天秤座も含まれていますから他者との出会いはアインシュタインにとって大切なきっかけになるとも言えます。

縁のある人との出会いと他者からの働きかけによって人生は動き出します。

特にアインシュタインのホロスコープでは南半球に星が集まっていますから、他者から世界へと働きかける力があることが分かります。

自分だけではなく、他者にも世界があることを知り、自分独自の世界を更に高めていくために自分の内側に籠るような性質が天秤座から蠍座にかけの5ハウスに表れています。

仕事と自らの目的達成のための努力

1900年、卒業の年、数学・物理の教員資格試験に無事合格しますが、保険外交員、臨時の代理教員や家庭教師のアルバイトで収入を得ながら、論文の執筆に取り組み、最初の論文「毛管現象からの二、三の帰結」を発表します。

仕事をしながら論文を執筆するのは葛藤も大きかったのではないでしょうか。

6ハウスにある月は太陽と90度を取り、私生活と公の自分の相違による葛藤とも言えますし、細かい部分に目を光らせ、日々努力を惜しまず取り組まれたことでしょう。

また月は射手座にありますから向上心と自由な発想で無限に広がる可能性を追い求めることが楽しかったのだと思います。

アインシュタインは生涯に300以上の論文を書いたと言われています。

1902年、ミレヴァとの間に女児を授かります。

友人のマルセル・グロスマンの父親の口利きで、ベルンのスイス特許庁に3級技術専門職(審査官)として就職しますが、同じころ、父ヘルマンが死去します。

1903年1月6日、アインシュタインとミレヴァは正式に結婚し、アーレ川の近くにあるアパートで暮らし始めます。

翌1904年には長男ハンスを授かります。

この時、プログレスの太陽はネイタルの牡羊座金星と重なり、同時にトランジットの木星も重なっていますから、金星が表す子ども・喜びが木星によって拡大する、人生に対して意欲的に取り組もうと思える時と読めます。

プログレスの月は蠍座5ハウス(子ども・創造活動)を運行中です。

この時アパートで暮らしていたアインシュタインは壁が完全な平面ではなく、歪曲している・壁と天井を結ぶ線が直線ではなく、少し曲がっているのではないか、ということが気になり、この考えがのちに一般相対性理論を生み出す元となったようです。

1905年、26歳のときに3つの重要な論文を発表します。

26歳は太陽期ですが、アインシュタインの場合は水星・金星・太陽も同じ10ハウス(社会的頂点・達成・キャリア・使命)にありますから、長い時間を掛けて取り組んできたこと(それこそ幼少期に興味を持ったことからずっと追い続けてきたもの)が少しずつ形になりだしたのがこの年。

この1905年は「奇跡の年」とも呼ばれいてアインシュタインは「光量子仮説」「ブラウン運動」「特殊相対性理論」に関連する五つの重要な論文を立て続けに発表しています。

1905年に博士号を取得すべく「特殊相対性理論」に関連する論文を大学に提出するも、内容が大学側に受け入れられなかったため、急遽代わりに「分子の大きさの新しい決定法」という論文を提出しています。

この時、トランジットのドラゴンヘッドとネイタルの天王星が重なり、世の中に(ドラゴンヘッド)革新的な新しい技術や理論(天王星)がもたらされるとも読めます。

社会の中で努力する

7ハウスにある火星は山羊座にありますから、社会の中で結果を残すために努力する(山羊座)、太陽とは60度を取り、冥王星とは120度を取っています。

これは小三角形という配置を取り、三角形の頂点は太陽ですから、太陽の人生目的を達成するために火星と冥王星は働き、集中力と努力は人並み以上にあったことが伺えます。

この火星の近くにはドラゴンヘッドもありますから、水瓶座の独自性や新しい技術や理論を求めていくことはアインシュタインにとって人生の課題であることがわかります。

着実に実績にを作り、1906年、2級技術専門職へ昇進します。

そして翌年の1907年、有名な式E=mc²」を発表。

1909年、特許局に辞表を提出し、チューリッヒ大学の助教授となり、翌年の1910年、プラハ大学の教授となります。

アインシュタインほどの知性の持ち主なら大学卒業時から教授への道もあったのではなか?と思うのですが、頭の固い教授たちとはそりが合わず、学生当時から授業に出席しない、爆発事故を起こすなどの問題からなかなか認めてもらえなかったのです。

アインシュタイン自身、自分のことを天才だとは思っておらず「一つのことに取り組んだだけ」と言っているところからも水星・土星合の知的分野に長く取り組む性質が現れていますね。

さて、1910年には次男エドゥアルト誕生します。

この時、プログレスの金星とトランジットのドラゴンヘッドがネイタル冥王星と重なっています。

1912年、キュリー夫人や学部部長の有人グロスマンの勧誘により、母校・チューリッヒ連邦工科大学の教授に就任します。この時アインシュタインは33歳。

1913年、プロイセン科学アカデミーの会員となり、ベルリンに移住し、ミレヴァと別居状態に。

火星期 体調の変化とノーベル賞受賞

1916年、一般相対性理論を発表します。この時アインシュタインは37歳。

36歳からは火星期となり、7ハウスの火星を主に鍛えていく時期となりますが、30代を越えてくると体調に色々変化が出てくるものです。

7ハウスにある火星は他者との接点が作られていくとも言えますし、自分が他者に対して働きかける何かがあるとも言えますね。

しかし、1917年、肝臓病や黄疸といったいくつかの病に罹るも病院はけがをした兵士で一杯になっており、一般人は入院できず、自宅で療養することになります。この数年間、いとこのエルザが看病にあたっています。

この時のトランジット水瓶座天王星は水瓶座の木星と重なり、5/17でホロスコープを作ると火星・木星・水星・太陽が牡牛座に集合し、ネイタルの牡牛座海王星と冥王星と重なる形となります。

牡牛座は持って生まれた資質や体質を表します。

その他、アセンダント蟹座の体質は不安定さを表しますから、これまで積み重ねてきたものが体調に表れたのでしょう。

アインシュタインは41歳から44歳までの間にオランダ・ウィーン・アメリカ・イギリス・フランス・日本・パレスチナ・スペインを訪問しています。

この時、日本に来る時の船上でノーベル賞受賞の一報受け取ります。

ノーベル物理学賞の受賞内容は、1919年に皆既日食の観測で光の屈曲が一般相対性理論のとおりだったと発表されたことによるもの。

ノーベル賞受賞はアインシュタインが長く取り組み続けた努力が実った瞬間だったのではないでしょうか。

物理学者になる夢を追いかけ、地道な努力を続けたからこそ実現できたのだと思います。

火星期は人生の中で得たいもののために努力ができる時。

他者ではなく、自分の人生と向き合い続けることで本当に得たいものを獲得できるという例ではないでしょうか。

同年6月2日 従姉のエルザと結婚。

ミレヴァとの離婚調停では将来受賞するノーベル賞の賞金を譲ることにしており、賞金32,000ドルを渡しています。

木星期 海外との接点

木星期は45歳から55歳までです。

アインシュタインの9ハウスには水瓶座の木星があり、乙女座天王星と180度、牡牛座冥王星と90度、火星と30度を取っています。

これまでの科学に変化をもたらしたアインシュタインですが、それは並大抵なことではなく、このアスペクトからは辛く苦しい時間があった事を表しています。

自分が追い求めた理論を多くの人に理解してもらうには相当な努力と時間と葛藤があったことでしょう。

火星期の後半には海外訪問をしていますが、51歳になるとアメリカ・カリフォルニア工科大学の客員教授になります。

ヒトラー率いるナチスが政権のユダヤ人への迫害が激しくなっていったため、ユダヤ人であるアインシュタインはアメリカへと渡り、のちにアメリカでの市民権を得ています。

土星期 知識の限界と想像力

55歳から65歳頃までを土星期とみると牡羊座にある土星は水星と重なっていますから、人生をかけて興味を駆り立てられてきたことを取り組み続けると読めるのですが、土星の本来のハウスである10ハウスには人生の目的である太陽・水星・土星・金星がありますから、人生をかけて学問と向き合い続ける人生だとわかります。

しかし、学問を突き詰めるための知識だけではいずれは限界があるということをアインシュタインは分かっていたのではないでしょうか。

だからこそ、魚座のインスピレーションと直感勝負の牡羊座に惑星があることを裏付けるものだと私は感じます。

そのことを言い表す言葉を残しています。

知識には限界がある。

想像力は世界を包み込む。

晩年と平和活動

アインシュタインが66歳の頃、1945年、広島市への原子爆弾投下報道に衝撃を受けます。

アメリカに滞在中の湯川秀樹(京都大学:日本で初めてノーベル賞受賞)のもとを訪ねたアインシュタインは「原爆で何の罪もない日本人を傷つけてしまった。こんな私を許してください」と泣きながら深々とお辞儀を繰り返したという逸話があります。

この逸話はアインシュタイン太陽・MC魚座の優しさや平和を望む心を感じます。

この姿を見た湯川は「学者は研究室の中が世界のすべてになりがちだが、世界の平和なくして学問はない」という考えに至り、世界平和のための運動に力を入れるようになったといいます。

9月2日に第二次世界大戦終結。

アインシュタインは「我々は戦いには勝利したが、平和まで勝ち取ったわけではない」と演説しています。

1955年4月11日、哲学者バートランド・ラッセルとともに核兵器の廃絶や戦争の根絶、科学技術の平和利用などを世界各国に訴える内容のラッセル=アインシュタイン宣言に署名しますが、4月13日、建国7周年を迎えるイスラエルと同国国民へ寄せるラジオ放送に関する打ち合わせ後、心臓付近の痛みに倒れ、腹部動脈瘤の破裂。

4月15日にプリンストン病院に入院し、手術を勧められるもこれを拒否します。

入院中の間、駆けつけた長男ハンスと面会したほか、病院でも研究を続け、秘書に電話をかけて必要な用具を持って来るよう伝えてもいたようですが、4月18日の午前1時10分ごろ、入院先のプリンストン病院で死去(満76歳)

この時のプログレスの火星がネイタルの太陽と重なり、1ハウスにはトランジットの木星天王星、プログレスの月は4ハウス乙女座を進行中でした。

アインシュタインの脳は研究用に取り出されています。

また、本人の希望により散骨されたためお墓はないとのことです。(川へ散骨)

今回の記事はここまでです

アインシュタインは、真面目な性格とお茶目なところもあったようですが、恐らく仕事の時はとても真面目に受け答えしますが(水星土星合)、気の抜けた時やふと見せるプライベートな瞬間は月射手座が現れたのではないでしょうか。

有名な舌を出している姿は照れ隠しで舌を出したとか。

手紙好きで一万通ほどのやり取りをしたそうな。

あと、共感できる部分は一日10時間睡眠(笑)

私もロングスリーパーなのでとてもわかります。

信じている宗教は特になく「自然法則こそが神」と信じて、宇宙の大きな概念を解き明かそうと尽力した人生でした。

ここまでお読みくださり誠にありがとうございました。

次回は「アインシュタインのサビアンシンボル」記事を書いていきたいと思っています。

Tomomi

ABOUTこの記事をかいた人

おこしやす。Tomomiです♡ 西洋占星術を学ぶうちにあれよあれよと占星術師となり、哲学・物理学・宗教・心理学・数学・歴史・神智学など多岐に渡る書籍とにらめっこの日々。最近は洋書漬け。星の動きはInstagramに投稿中。こちらのブログでは気になった人のホロスコープを読んだり、感じたことなどの徒然を。 ”持って生まれたホロスコープには自分が体験したいと願ったことが秘められています。迷ったとき、自分の感覚に自信がないとき・・生まれた時の天空図には「生きていくためのヒントや方向性」が記されています。” 私は魂の意図を読み取り、鑑定書を作成しています。